てならぬ、と言つたといふ。
 橘諸兄の子の奈良麿《ならまろ》は父に加へた押勝の讒言《ざんげん》を憎んでゐた。そのうへ彼は当時の政治に反感と義憤をいだいてゐた。即ち彼は東大寺や国分寺の建立のために、全ての犠牲と苦しみが人民たちにかゝつてゐるのに堪へがたい不満をいだいてゐたのであつた。彼は押勝と大炊王を暗殺して、正しい政治を欲してゐる皇太子を立て、日本の政治を改革したいと考へてゐた。その相棒は大伴古麿で、クー・デタを計画し、兵器を備へてゐるといふ噂があつた。密告は重ねて光明太后の耳にとゞいた。
 然し、光明太后はそれらの密告をとりあげなかつた。たゞ、噂にのぼる人々を召し寄せて、私はそのやうなことは信じたことはないけれども、然し、国法といふものは私と別にあるのだから、皆々も家門の名誉といふものを失はぬやう心掛けてくれるがよい。お前たちは私の親しい一族の者に外ならぬのだから、私の言葉は大切にきくがよい、と、さとされた。
 けれども、やがて、山背《やましろ》王の密告は打消すことができなかつた。廃太子道祖王、黄文《きぶみ》王、安宿《あすか》王、橘奈良麿、大伴古麿、小野東人らが皇太子と押勝暗殺のクー
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