太后であり、その亡きあとは、押勝の企みが万能でありうることを見抜いてゐた。彼は争ひを好まなかつた。彼は三千代の長子であり、光明太后の異父兄であり、その柄になく左大臣になつたけれども、家族政府の実直な番頭といふ心あたゝかな責務以上に、政治に対する抱負もなく、又は特別の才腕もなかつた。人と争ひ、押しのけてまで、地位に執着しなければならないやうな、かたくなゝ思ひは微塵もなかつた。彼はあつさり辞任した。みれんなく都の風をすて、山吹の咲く井出の里に閑居して、そして、翌年、永眠した。
残る邪魔者は、彼の実兄、右大臣豊成が一人であつた。彼は兄の失脚の手掛りを探したが、温良大度、老成した長者の右大臣には直接難癖のつけやうがなかつた。
そのころ、押勝の専横を憎む若手の貴族に、暗殺の計画がすゝめられているといふ噂があつた。
あるとき、大伴古麿が小野|東人《あずまびと》に向つて、押勝を殺す企みの者があるときはお前は味方につくか、ときくので、東人は、つきますとも、と答へたといふ。するとこの話を伝へきいた右大臣の豊成が、弟は世間知らずなのだから、私からよく訓戒を与へておかう、早まつてお前たちが殺したりはし
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