炊《おおい》王を自邸に招じ、この寡婦と結婚させて養つてゐた。彼は女帝が皇太子に親しみを持たないことを知つてゐたので、それを廃して、大炊王を皇太子につけたいものだと考へてゐた。
 死床についた上皇は、天下唯一人の女であらねばならぬ娘が、やつぱりたゞの肉体をもつ宿命の人の子であることに気付いてゐた。上皇はたゞ怖しかつた。全てを見ずに、全てを知らずに、ゐたい気持がするのであつた。然し、彼は、ともかく娘を信じたかつた。なぜ肉体があるのだらうか。あの高貴な魂に。あの気品の高い心に。その肉体を与へたことが、自分の罪であるとしか思はれない。そして彼は娘のその肉体にかりそめの訓戒をもらすだけの残酷さにも堪へ得なかつた。
 彼は死床に押勝をよんだ。腕を延せば指先がふれるぐらゐ、すぐ膝近く、坐らせた。そして、顔をみつめた。私の死後はな、彼は相手の胸へ刻みこむやうに、一語づゝ、ゆつくり言つた。安倍内親王(孝謙帝)と道祖王が天下を治めることになつてゐる。安倍内親王と、それに、道祖王がだよ。お前はこのことに異存はないか。はい、まことに結構なことゝ存じてをります。さうか。それならば、神酒を飲め。そして、誓ひをたて
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