ものが可愛いかつた。彼女はたゞ自らの好むものを好めばよい。標準もなくモデルもなかつた。たゞ仲麿に見出した全てのものが、可愛くて、いとしくて、仕方がなかつたゞけだつた。
 天皇は仲麿を見るたびに笑《え》ましくなるので、改名して、恵美押勝《えみのおしかつ》と名のらせた。押勝とは、暴を禁じ、強に勝ち、戈《ほこ》を止《とど》め、乱を静めたといふ勲《いさおし》の、雄々しい風格の表現だつた。そして大保《たいほう》に任じ、あまつさへ、貨幣鋳造、税物の取り立てに、恵美家の私印を勝手に使用してよろしいといふ政治も恋も区別のない出鱈目な許可を与へたのである。

          ★

 孝謙天皇の皇太子は道祖《フナド》王で、天武天皇の孫に当り、他に子供のない聖武天皇は特にこの人を愛して、皇太子に選んだ。それは聖武の意志であり、政治に就て親まかせの孝謙天皇は、まだその頃は皇太子などはどうでもよくて、自身の選り好み、差出口はしなかつた。
 恵美押勝(まだその頃は藤原仲麿だつたが、時間の前後による姓名の変化は以後拘泥しないことにする)はその長男が夭折した。そして寡婦が残された。そこで道祖皇太子の従兄弟に当る大
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