種であつた。
安宿は天性の麗質であり怜悧であつた。年齢も亦首皇子に相応し、生れながらにして、天皇の夫人たるべき宿命をあらはしてゐたけれども三千代は更に一つの慾念があつた。それは彼女の一世一代の慾念だつた。三千代はすでに年老いてゐた。その一生は誠心誠意、たゞ忠誠を事として、不当の私慾をもとめたことはない。その長男、葛城王は臣籍に降下して橘諸兄となり、大臣となつたがそれは自然の成行で、そして諸兄は温良忠誠な大臣だつた。けれども三千代は年老いて、今、やみがたい一代の慾念をどうすることもできない。それは安宿を夫人でなしに、皇后にしたいといふことだつた。
そして安宿はその母なる一代の才女によつて、天下第一の女人の如くに教育された。当然首皇子の夫人であり、やがて、どうあらうとも皇后であらねばならぬ悲願をこめて育てられた。麗質は衣を通して光りかゞやき、広大な気質と才気は俗をぬき、三千代の期待の大半は裏切られる何物も見出すことができなかつた。
女支配者の沈静な心をこめ夢を托して育てあげられた首皇子は、その沈静な女たちの心情によつて厭はれるものを厭ひ、正しとするものを正しとする心情を与へられてゐた
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