ての意志が、天皇家の家名のために捧げられ、一途に目的を進んでゐた。
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これらの痛烈な意志を受けて、その精霊の如くに、首皇子は成長した。聖武天皇であつた。
その皇后は三千代と不比等の間にできた長女の安宿《アスカ》であつた。全身は光りかゞやく如くであつたから、光明子とよばれ、又光明皇后ともよばれた。天皇と同じ年齢だつた。まだ皇太子のころ、元明天皇が選んで与へたものだつた。
そのときまで、皇后は内親王、王女に限るものとされ、臣下の女は夫人以上にはなり得ない定めであつた。聖武天皇即位六年の後、五位以上、諸司の長官を内裏に集めて、光明皇后|冊立《さくりつ》を勅せられたが、他に何人かの意志があつたにしても、最も多く聖武天皇の意志であつたに相違ない。なぜなら、光明皇后を何物にもまして熱愛してゐたからであつた。
安宿は天下第一の女人の如くに教育された。それは三千代の悲願であつた。不比等の女(三千代の腹ではない)宮子は入内《じゆだい》して文武天皇の夫人となつた。文武天皇は妃も皇后もめとらず、宮子は実質上の皇后だつたが、天皇は二十五で夭折した。首皇子即ち聖武天皇はその一粒
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