は取り除かれ、新しい正当な発育に導かれなければならない。動物園の檻の中の動物のやうに一部の学者や都市人の観覧のために旧態を墨守するのは途方もない話で、然し、農村自体の感情のうちにも自ら動物園の動物化を招いてゐる反進歩性が牢固として存在することも見逃せぬ。
小学生の私が木橋の万代橋がこはされるのに悲しい思ひをしたなどとは滑稽千万な話であるが、この滑稽が今日農村の諸方にまだ頻りに行はれてはゐないか。広い視野をもつて自らを省れば、この滑稽にはすぐ気のつく性質のものであるのに、農村の視野にはベールがかゝつてゐるのである。このベールを取りのぞくことが第一だ。それには素直な心がいる。人を信頼しなければならぬ。だまされることを怖れるな。自らの誠意によつて人を屈服せしめるだけの自覚がなければならぬ。
農村の排他性は私はむしろ悪徳であると考へてゐる。彼等は「だまされた」といふけれども、彼等が人を信頼することを知らないところに病根があるのだと考へてゐる。彼等は自分以外の人々はもつと悪質だと想像して、実は他の誰よりも悪質なことをする。彼等はその言訳に他の連中はもつと悪い事をしてゐるのだときめこんでをり、
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