と友達であつたが、その人達の行動が突飛であるのも実は一流の精神が欠けてゐるからであり、東京の女はかうだと想像した上で、それに負けないつもりでやつてゐるのではないか、本当の自覚が足りないのではないか、と考へずにゐられなかつた。東京の娘達は何を模倣する必要もないのであるから、すべてに自主的な思考を持つてをり、落附《おちつき》があると思はずにゐられない。例を大学の先生にとつても、京都の先生達は常に東京を念頭に置いて考へることに馴らされ、やつぱり自主的な自覚が足りないやうに思はれた。
古い文化をもち、曾《かつ》て王朝の地であり今日も尚東京と東西相並ぶ学問の都市である京都ですら、然りである。第一流の精神の欠如、自主的な自覚の不足といふことは、地方文化の全般的な通弊であり、この一点に革命的な生気がもたらされぬ限り、地方文化が独立して発育をとげる見込みはない。東京の亜流である限り地方文化といふ独自な創造は有り得ぬのである。
然しながら、地方都市が概ね東京の亜流の精神にすぎないことに比べると、農村は都市と対蹠的なものであるために、独自な思想や独自な文化、独特な農民精神といふやうなものが在るやうな気
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