あるが、自らの責任に於て自主的に判断することが出来ないといふのは、まことに不名誉な話である。自主的に自らの態度を定め責任を以て対処するだけの自覚がなくては原始の土人に異ならず「だまされた」といふ弁明によつて新らたな責任を回避しようとするに至つては上古さながらの狡猾なる農村の性格が露呈せられたものと言ふべきであらう。
全く農村には生活感情や損得の計算はあるけれども思想だの文化といふものは殆どない。公共の観念や自主的な自覚が確立されなければ、思想も文化もある筈がないので、農村の思想だの農民文化だのと簡単に言ふ人があるが、農村に思想や文化があるとすれば、思想以前、文化以前の形態に於てであらう。
私は暫らく京都に住んでゐたことがあつた。古い文化の都市であり、又、学生の街であるが、全く活気のない都市である。そのうちに気附いたことは、この街には一流の精神がないといふことであつた。つまり本当に自主的な精神がない。常に東京といふものを念頭に置き、東京ではかうだといふ風に考へて自分の態度を決定する。関西のお嬢さん達には東京に見当らぬやうな突飛な行動をする人があり、私は偶然さういふ代表的なお嬢さん数人
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