れて、その儀ばかりはと、ひらに辞退したのであつたが、食堂の親爺といふ稀代な人物、思ひ込んだら雷が鳴つても放さない守宮《やもり》の生れ変りだから、狙ひをつけて食ひつかれたら、もはや万事休すである。娘を一室へ呼び入れて、訊問致すことになつた。
 訊問が、どうせ訊問にならないのは、先刻御察しの通りで、娘の奴め、先生道行と親類づきあひしてゐることを見抜いてゐるから、家出のあひだ男と一緒にゐたことを問はれぬ先に白状したが、それを両親に知られると困るから、先生の力でなんとか巧く捌いてくれとぬかす。
 即ち先生、再びこゝに、見事に鴨となり果てたのである。先生悲嘆にくれること限りなく、ベロナールにしようか、いつそピストルにしてくれようかと、思ひつめたほどであつたが、娘帰宅の報にこれも面目玉を踏みつぶした三宅君にやにやてれながら現れて、悲嘆の小生に血涙したゝる同情を寄せ、然らば河豚《ふぐ》に致さうと、河原町四条へ、生れて始めての河豚くひに出掛けたのは、まさしくこの時であつたのである。
 祇園乙部の界隈に、名高い豆腐屋があつて、隠岐《おき》和一の話(これが時々大いに当《あて》にならないのだが)によると、日
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