のである。六十の婆サンと変なことになるよりは、年頃の美しい娘と変なことになる方がよろしいという悟りであった。こうまで親切にされるのも妙なもので、四十四五のオカミサンが営業上の環境から自然と悟りをひらいて人生の奥義をきわめているというのは、あんまり気持のよいものではない。だいたい女というものは不惑をすぎるころから、自然に一流の悟りをひらくようである。こういう達人は薄気味が悪いものだ。然し、このオカミサンは、数ある達人のうちでも一流の使い手で、女傑という感じであった。
伊勢甚の倅ぐらい、郷土愛に燃えている子供は珍らしい。自分の生れた町を日本一の美しい町だと思っているのである。美しいという意味は、素朴に風景としての意味である。自分の町を中心に利根川べりの四辺を国立公園にしようという大変な考えを持っていた。その意見を論文に書いて私のところへ見せに来て、私も挨拶に困った。三十|米《メートル》ぐらいの丘はあるけれども、利根川と土堤と畑があるばかりで、これを日本一の風景だと思いこんでいるのも、自分の母を日本一の母と思いこんでいることゝ同じだけの意味で、是非を論議すべき筋合いのものではない。仕方がな
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