体が孕んでゐる不合理や矛盾の肯定からはじまる。警視総監が泥棒であつても、それを否定し揶揄するのではなく、そのやうな不合理自体を、合理化しきれないゆえに、肯定し、丸呑みにし、笑ひといふ豪華な魔術によつて、有耶無耶のうちにそつくり昇天させようといふのである。合理の世界が散々もてあました不合理を、もはや精根つきはてたので、突然不合理のまま丸呑みにして、笑ひとばして了はうといふわけである。
 だから道化の本来は合理精神の休息だ。そこまでは合理の法でどうにか捌きがついてきた。ここから先は、もう、どうにもならぬ。――といふ、やうやつと持ちこたへてきた合理精神の歯をくひしばつた渋面が、笑ひの国では、突然赤褌ひとつになつて裸踊りをしてゐるやうなものである。それゆえ、笑ひの高さ深さとは、笑ひの直前まで、合理精神が不合理を合理化しようとしてどこまで努力してきたか、さうして、到頭、どの点で兜を脱いで投げ出してしまつたかといふ程度による。
 だから道化は戦ひ敗れた合理精神が、完全に不合理を肯定したときである。即ち、合理精神の悪戦苦闘を経験したことのない超人と、合理精神の悪戦苦闘に疲れ乍らも決して休息を欲しない
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