、来るんじゃなかったと気がついたのである。
「メモを返せ。帰るから」
「結論の一行を書きたしてもらッてからでもおそくはないぜ。昇給のチャンスだからな。このメモの中に金一封があるんだけど、君の力だけじゃアね」巨勢博士はメモを取り返されないように手でシッカと押えながら、
「北村透谷ぐらい読んでおけよ。三人そろッて自殺した文士だと知っていれば、君の注意はもっと強く働いていたろう。自殺した文士はそのほかにもいる。近いところでは牧野信一、田中英光。しかし、その本は彼の手もとになかった。たぶん、本屋にでていなくて、手にはいらなかったせいだろう。北村から太宰まで知ってたからには、ほかの自殺文士の名はみんな知ってた筈だからさ。なぜなら、何らかの理由が起るまでは、彼は自殺文士の名前なぞ一ツも知らなかった。彼が文学を知らない証拠には、太宰の本を笑うべき本、おかしい本だと云っている。したがって文学的コースを辿って読むに至った本ではなくて、ある理由から一まとめに知った名だね。さすればその一まとめの意味は明らかだろう。曰く、自殺さ。たぶん、彼自身が自殺したいような気持になって、自殺文士の書物を読みたい気持になっ
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