メモを見ると、三高曰く、これだけは難解なりと云って示したのが、北村透谷。しらべてみると、これも明治初年に自殺した文士の一人である。自殺文士の元祖ともある。
 しかし、ああ無情の著者ビクトルユーゴーは、自殺者ではなかった。百科辞典を見ると、フランスの総理大臣までつとめた政治家であり文豪である。
「これが彼の政治熱の源泉かなア。しかし、先生の選挙演説にビクトルユーゴーもジャンバルジャンも出てきやしなかったな。芥川も太宰もでてこない。文学的な表現はなかった。彼がそれらの本から学んだものは一言といえどもなかったな」どうもしかしフシギだ。泣きながら「ああ無情」と喚いたのは、酔ッ払いの単なるウワゴトとは思われない。ふだん通俗な雑誌しか読まない男が、俄かに「ああ無情」や芥川や太宰を読むのはタダゴトではない。岩波文庫の北村透谷に至っては、新聞記者の寒吉が辛うじて名前を心得ていただけで、彼が自殺者であることすらも知らなかったほどの失われた過去の文士である。なんらかの重大な理由がなくて、三高がそれらの本を取り揃える筈がない。
「これらの東西の文学書に一貫した共通性があるのかなア。それが分ると謎がとけるか
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