私もあとで読んでみたかったわ。アア無情」
「アア無情?」
「ジャンバルジャンですよ。私も結婚前から、話にはきいていた本ですもの」
 寒吉は声がとぎれて出なくなってしまったのである。
「アア無情」それは酔ッ払ッて泣きだした三高のセリフではないか。三高は酔余のことで覚えがないのか、今までと変りなく、ちょッと苦笑しているだけである。
「あのときのセリフには深い曰くがあるらしいぞ」こう気がつくと、矢も楯もたまらない気持になり、寒吉はイトマをつげて大急ぎで自宅へ戻ると、メモをひらいた。

          ★

 その時のセリフは、メモに曰く、
「ああ無情、ああ……」
 三高泣く。また曰く、
「放さないでくれ。ああ無情、ああ……」
 三高手足をバタつかせて、もがき、また泣く。と書いてあった。それだけである。
 これだけでは、別に曰くがあるとは思われない。彼は速記の心得があるから、言葉のメモは正確の筈なのである。
「どうも、変だな。なんだってジャンバルジャンを読んだのだろう。それと芥川や太宰の小説と、どう関係があるのかな。ポチャ/\夫人は自殺者の小説だと云ったが、ほかのも自殺者の小説なのかな」

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