、僕はわざ/\見物に行つた。違ふのである。あれは当り前のエビの料理だ。この話を大井広介に語つたところが、さうです、あれはエビの料理です。セーザル式何とかの何々といふ名前です――この長たらしい料理の名前を大井広介はこくめいに暗記してゐた。いつたい何のために暗記してゐたのであらうか! あの活動写真を十ぺん見たといふミーチャンはゐるかも知れぬが、あの料理の名前を暗記してゐる筈はない。馬鹿々々しさもこゝまでくると全く凡人の及び難い天才とよばねばならぬ。ミーチャンハーチャン伊勢屋の倅《せがれ》に酒屋の小僧を百人分合せたぐらゐ馬鹿々々しい男である。奇妙な風に秘策をめぐらしてゐるけれども、全然人間並みの思慮がない。こんなケタ外れの怪人物は生れて始めて見たのであつた。
大井広介の評論もデタラメだ。けれども彼の人物ほどデタラメではない。だから却つていかぬと思ふ。彼の評論にはバルザックの隣に安芸の海が現れ、野球もレビューも忍術も知つてゐることがみんな出てくる。これは非常にいゝ所だと僕は思ふ。文学といふものが孤立せず、生活の全部が文学の中へ現れてくる。いつたい日本の文学者達は、文学のことだけ語り、文学以外
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