に苦しくはないのか、医者をよぶ必要はないのかと草吉が尋ねると、ほんとに苦しくないのだ、お午まで静かに睡むつてゐたいのだと答へ、やがて顔から蒲団をとりのけて、正しい寝息をたてながら睡むりはじめた。そのときもはや夜は白々とあけはじめており、まだ太陽は昇らなかつたが、仄かな薄光が当太郎のよごれた顔にもかかつてゐた。
草吉がはじめて便所の戸をひらいたとき、さうしてそこに当太郎の屍体を見出したとき、彼の胸をまづ流れたものは、ここにも一人の愚かな奴、それがまさしく便所の中にころがつてゐるやうに一匹の息絶えた巨大な蛆虫、さうして、なんといふうるさい出来事であらう、といふ考へだつた。
ところが当太郎の生き返つた今となつて、改めて草吉の胸を流れたものは、ひややかな一つの悲しみであつた。たうてい医《いや》しがたく割切りがたい苦汁のやうな哀愁であつた。それに溺れ、濁水のやうな澱んだ流れに浸つてゐると、ある大いなる静かなものへ、ののしり、いきどほり、躍りかからうとする狂気の心も感じるのであつた。
長い時間がすぎてから草吉が階下《した》へ降りてみると、二人の女は各々の激しい放心に悩まされてゐた。
「どうし
前へ
次へ
全43ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング