十郎を認めて駈け寄ってきた一人の白拍子、まだ化粧もしていない黒い顔を押しつけるようにして、
「どうしたのよ、十郎さん。ちッとも姿を見せないで。お嬢さんがヒステリーで大変ですよ。実はね、今もお嬢さんが悪侍と大ゲンカしてるんですよ」
「侍とケンカ?」
「ええ、そうなんです。身分の低い侍ですが大そう腕ッ節の強い奴らでしてね。その親分格は黒犬の権太という奴ですが、ちかごろこの宿を軒なみに荒してるんです。今日はウチへ来ましてね、無理に上ろうとするところへお嬢さんがヌッと現れたんです。フトコロ手かなんかで悪侍をハッタと睨んでね。ウチへ上ってお酒をのむなら私をスッパリ斬り殺して上っておくれ、私が息をしているうちは一歩だって入れないよ、とあのお嬢さんがタンカをきっちゃったんですよ。それというのも、十郎さんがあんまり姿を見せないから、すっかり気が立ってるんですよ」
「それから、どうした?」
「どうしたも、ありませんよ。お嬢さんが悪侍を八人も相手に、結局どうにもならないのは分りきってるじゃありませんか。私はすぐ裏からとびだして、馬七だの蛸八だの芋十なぞの地廻り連に助勢をたのんだんです。今日はオフクロの命日
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