社があり、彼らにとってはここは記念すべき上陸の聖地だった。そして多くの者はそれぞれ奥地へ住み移って土着したのであるが、かの有名な武蔵秩父の高麗村の高麗家の記録にも彼らの祖先が大磯に上陸したということが語られているのである。
大多数は奥地へ散ったが、少数はこの地にとどまり、街道筋の旅人に商いをやり、今日の駅前マーケットのようなものを組織していたのだ。
ところが源氏の天下になり、鎌倉に幕府ができて、京と鎌倉のレンラクで東海道が日本一の幹線道路になったから、大磯マーケットはみるみるふくらんで、鎌倉近辺で第一番の遊び場になったのである。
このマーケット代々の親分、大磯の長者、目下の長者は女将であるが、その一人娘を虎という。絶世の美人だ。
大昔から街道筋のマーケットの長者は、いわば旅人の旅館も兼ね、料理屋女郎屋も兼ね、今の特飲店のようなもの。そこの娘も白拍子にでて上客に身をまかせるのは古来からの習いで、大磯の長者もその娘ざかりのころ伏見の大納言を客にとって生んだ子が虎なのである。
一粒種の虎は非常に大事に育てられ、一通りの学問も和歌も、琴笛その他の楽器も遊芸全てにわたって身につけ秀でて
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