ふ変な漢字をよく用ひるが、それは、これらの文字がたいがいヒラガナの十も十五も連続する時に使はれ易い字だからで、そんな時に漢字を入れると読み易くなるものなのである。漢字制限も、制限するのが主意ではなく、読み易くすることが主意でなければならぬ筈[#「筈」に丸傍点]であらうと思ふ。つまり、かういふ際の「筈」のやうに、こんな時に漢字なりカタカナなりを入れると、読み易くなるものなのである。
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右の場合と同じ意味で、新カナヅカイも、そのために、むしろ読みにくゝなつてゐる。先日の新聞に「覆ふ」が「おおおお」だといふ例がでてゐたが、なるほど、これは一面、カナヅカヒの罪ではなく、言葉のせゐだといへば、それもその通り。私もこんなのにぶつかると、「おおおお」などと書くかはりに「かぶせる」といふ別の言葉を自然に用ひる。昔の文章道の名人大家はノッピキナラヌ言葉などといふけれども、僕のは用を弁じて足りればよろしいタテマヘだから、こんな時にはアッサリ「カブセル」と変へて、すましたものだから、たいして驚きも困りもしない。
けれども「おおおお」が「かぶせる」で間に合ふやうに万端まに合つてく
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