新カナヅカヒの問題
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)筈[#「筈」に丸傍点]
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ちやうど今日(十月三日)文部省で著作家側を招いて新カナヅカイと漢字の問題で意見をきゝたいといふことで、僕も招かれてゐるけれども、紙上で述べる方が意をつくし得るから、以下、私見を書くことにする。
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僕は新カナヅカイも漢字制限も主旨として当然なことだと思つてをり、文字はなるべく簡単明快にする、これも当然、さうなつて悪いところは一つもない。
著作家側や学者間に反対が多いのは、歴史的カナヅカイには語の成立のいわれを形に示してゐるから、新カナヅカイになると、それが全くわからなくなつてしまふ、さういふ心配が第一のやうだが、言葉の歴史は学者だけにその心得があればよろしいので、一般人の生活のために、それが特に必要なものだとは思はれない。
もとよりこれからの我々は万人誰しも一応文化人、インテリたることを目標としなければならないものだが、そしてそのために高度の思想生活、文学、哲学、宗教、科学、色々の読書が当
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