ことは、その委員が声明してゐるところである。
けれども、すこし、やりすぎた、と私は思ふ。それは簡単ではなしに、わかりにくゝなり、明快よりも難渋になつてゐるからで、新カナヅカイも読みにくいし、漢字制限も読みにくい。委員は馴れの問題だといふが、私はさうは思はない。馴れだけでは割りきれない不明瞭さが大いに混つてゐる。
この春、朝日新聞社で座談会があつたとき、司会者の岩上順一先生が、私にかう云つた。私の小説「花妖」の妖の字は今度の漢字制限には無くなつた字であるが、それをなぜ使ふか理由をきゝたい、といふのである。
そこで私はバカバカしくて言ふまでもないことだけれども、仕方がないから、文部省が新カナヅカイや漢字制限をしたからと云つて、なぜ我々が無批判にそれに従はねばならぬのか。それに対して批判を加へるのが我々文学者の義務ではないか、役人のつくつた天下りの新文法に盲従しなければならないといふアナタの考へが妙ではないか。私はかう答へた。
民主々義だの何だのといひ廻る岩上先生はかういふバカなことを言ふ先生なので、いつたいに左翼的な人たちはみんな役人型であり、ファッショ型だと思へば間違ひがない。
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