、最後的な決定、さういふことが、私は好きではない。人間の未来はこれから永遠につゞいて進歩発展して行くもので、百年千年先の文化はズッと進んでゐるのは当然なのだから、我々が最後の決定だの革命などとはチョコザイ千万なナンセンスで、常に人間が為すべきことは、その時代に於て、少しづつ良くなる、特別悪いところを治して行く、万事さういふタテマヘのものでなければならぬと考へる。
 私は先ごろ憲法改正といつて色々シンギがあつたとき、人間の不変の憲章とはいつたい何だらう、と考へた。
 そのときも私が思つたのは、革命だの、国家永遠の繁栄のため、百年千年の計のため我々がギセイになる、さういふチョットきくと人ぎきのいゝ甘ッチョロイ考へ方がナンセンス、又罪悪であり、人間はギセイになつてはならぬ。自分一人好きこのんでギセイになるなら話は別だが、個人としての自我とは別に、社会人としての我々は誰のギセイになる必要もない。
 人間は各人が各人の時代にだけしか生きられないものだから、その時代に於て最善の人生をつくつたり享楽したり耐へ忍んだりするべきもの、後世のためにまで自分がはからふオセッカイはいらないことだ。各時代が各時
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