ために書かれている。現実をたのまず、自ら変化することを望む好学的な、そして私流の言い方で言えば、反逆的な、闘争的な、破壊的な人々のために書かれている。純粋な青年のために書かれている。
        *
 然し芸術は理論でない。芸術は理論的に説明し得るものではない。若し理論によって説明し得る芸術があるとすれば、それは本来芸術ではなかったのだ。芸術は芸術それ自らのもつ感銘によって読者に訴えるものだ。
 私は昨日までの二日間に於て、新らしき文学の本質問題を述べ、従来の末梢的な新興文学と称するものを否定し、プロレタリア文学を否定し無気力な老人趣味的文学を否定した。そして、反逆的な、それ故、時代創造的な意思によって、血と肉の人間悲劇を語るものが文学であることを述べた。私に許された紙数は至極簡単な、いわば骨組的な荒筋を述べるほかに仕方がなかったが、然したとえ幾十枚の紙数を許されたにしても、理論は結局理論でしかない。いかほど具体的に詳述するとしても、芸術家は芸術以外に武器はない。
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 今度我々九名の同志が新らしき文学の建設を意図して「桜の会」を結成し、機関紙「桜」を発刊した。我々
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