ものではない。言葉、音、色彩 etc. は芸術家にとって単に当然な基本条件であって、観念そのものの必然性に動かされぬ単なる言葉や形式は芸術活動以前に属する。単なる言葉や形式を問題にするが如きは芸術家に最大の恥辱である。
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 文学の真の新らしさは此の如き末梢的装飾によって瞞着さるべきでない。同時に此の如き末梢的装飾を新らしさの全てと誤解し、軽率に本質的な新らしささえ背を向け去った現下の現象は、これ又甚だ非文学的な現象と言わねばならぬ。なぜなら、「まことの新らしさ」は同時に文学の本質であるから。
 年齢には年齢の、若さには若さの果実がある。そして時代に時代の果実がある。進歩と退歩に拘らず、全ては常に変化する。変化それ自らが常に厳然たる新らしさであるが、文学は変化の流れに押し流されるものではなく、時代創造的な「意志」によって、変化に方向と意志を与え得るものである。

    文学は常に反逆だ

 文学の領域は言うまでもなく個人である。個人を離れて文学は成り得ない。然し不滅の人間、不変のエゴは形而上学と共に亡び去っている。我々の個人は変化の一過程に於て歴史に続き永遠につながる
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