国民の多くは決して好戦的ではなく、軍部と一部の好戦者が声をからしているばかりであった。反戦的な庶民が駆り立てられて軍服を着せられ、戦地へ送られ、それでも兵隊になりきれず、庶民的な魂を失うことができずにいた。
 今日に於ては、人々は軍服をぬぎながら、そして、武器を放しながら、庶民的習性に帰るよりも、むしろ多くの軍人的習性をのこし、民主々義的な形態の上に軍国調や好戦癖を漂わしているのである。
 先ず第一に、天皇に対する人間的限界を超えた神格的崇拝の復活である。すでに帝国ではない民主国日本に於て、天長節の復活も奇怪であるが、天皇制というものが、国内統治の一時的な方便として便利であるというタテマエならば、これは大いに間違っている。
 私も、元来、政治に於ては、方便を是とするものである。政治に於ては、私は、極右も、極左も、とらない。もっとも、文学に於ては、そうではない。人間の生き方の究極というものを我が身に賭けて探してみても、所詮本人一人好きこのんでのことで、誰に迷惑がかゝるわけでもなく、自殺しようと、断食しようと、いゝではないか。
 政治はそういうものではない。その影響が直接全国民の生活にはた
前へ 次へ
全23ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング