ものでもないだろう。
家の制度というものが、今日の社会の秩序を保たしめているが、又、そのために、今日の社会の秩序には、多くの不合理があり、蒙昧があり、正しい向上をはゞむものがあるのではないか。私はそれを疑るのだ。家は人間をゆがめていると私は思う。誰の子でもない、人間の子供。その正しさ、ひろさ、あたゝかさは、家の子供にはないものである。
人間は、家の制度を失うことによって、現在までの秩序は失うけれども、それ以上の秩序を、わがものとすると私は信じているのだ。
もとより私は、そのような新秩序が急速に実現するとは思わず、実現を急がねばならぬとも思っていない。然し、世界単一国家の理想と共に、家に代る社会秩序の確立を理想として、長い時間をかけ、徐々に、向上し、近づいて行きたいと思う。
私は思うに、最後の理想としては、子供は国家が育つべきものだ。それが、理想的な秩序の根柢だと思っているのだ。
その秩序によって、多くの罪悪が失われ、多くの蒙昧が失われ、多くの不幸が失われ、多くの不合理が失われる。人情が失われる代りに、博愛と、秩序の合理性が与えられる。本能の蒙昧に代って、正しい理知が生活の主体
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