家が平和の基礎であるに比し、各個人に於ては、家の問題の解決が、最後の問題となるのだろうと、私は考えているのである。
 家も、又、垣の一つだ。何千年の人間の歴史が、この家の制度を今日まで伝承してきたからと云って、それだから、家の制度が合理であるとは云えない。
 両親とその子供によってつくられている家の形態は、全世界の生活の地盤として極めて強く根を張っており、それに反逆することは、平和な生活をみだすものとして罪悪視され、現に姦通罪の如き実罪をも構成していた。
 私は、然し、家の制度の合理性を疑っているのである。
 家の制度があるために、人間は非常にバカになり、時には蒙昧な動物にすらなり、しかもそれを人倫と称し、本能の美とよんでいる。自分の子供のためには犠牲になるが、人の子供のためには犠牲にならない。それを人情と称している。かゝる本能や、人情が、果して真実のものであろうか。
 もとより、現実の家の制度の牢乎《ろうこ》たる歴史の上では、本能も、人情も、ぬきがたい人間の実相の如く見えている。又、私が一人実験台にのぼってみたところで、数千年伝承してきた習性があって、一時にそれをどうすることができる
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