やりだしているのであるが、はからずも、ドストエフスキーとゴッホの発病時の表現に、いちじるしい類似のあることを見出した由であった。
 この二人の芸術家は、いずれも自らの発作について手記を残しているのであるが、先ず発病の時期に宗教的な三昧境《さんまいきょう》を見る。小林はルリヂヤス何とかと云った。僕らは酒をのんで話を交していたので、こまかいことは忘れてしまったが、このルリヂヤス何とかという表現が、二人の手記に同じ言葉が用いられているので、小林はゴッホもテンカンじゃないかと疑りだしているのである。
 これだけの類似でゴッホもテンカンだと即断するのは、もとより不当であり、だいたい分裂病の症状は多種多様で、無限の型がありうるから、尚更、わからない。
 然し、分裂病の型が多種多様だということについては、つまり、精神病学がまだ幼稚であり、多くの型を一とまとめに分裂病とよんで済ましているだけのことではないかと思われる節が多い。
 事実、精神については、医者のみならず、文士も、哲学者も、その実体に確たるものを知り得ていないではないか。
 小林秀雄はフロイドの方法が東大に於て使用されているかどうかをきき、
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