なおす。
そして、社長に遠まわしの皮肉をきりだすと同じようにオドオドと、しかし執拗にくいさがる。
「お前はそのイワシを食べてはいけない」
言葉は、できるだけ静かであった。ただ、抑えきれない亢奮が口から泡をふかせているだけである。
「それほど軽蔑し憎むものをなぜ食べるのだね。それはお前が軽蔑しているものよりも、もっと軽蔑すべきことだと思わないかね」
それに対して、克子はまずこう答える。
「ツバがとぶわね。食物に」
それからゆっくりと、ゴミをすてるように、火のない火鉢の中へイワシを投げすてる。
「これ待ちなさい!」
父は娘の腕をつかむ。もしくは、つかもうとする。そして叫ぶ。
「今さらゴミよりも軽蔑した手ツキでイワシを投げすててみせても、今まで食べていた意地汚さを打ち消す力にはならないのだよ。むしろ今までの意地汚さを自分で軽蔑したことになるのだ」
克子は顔の血の気をまったく失って立上る。お弁当をとりあげる。彼女はこれから徴用の仕事場へでかけるところだ。
克子は膝の上でお弁当をひらいて、オカズの一匹のイワシをつまみあげて、流しへ抛《ほう》りだす。一すじの涙がながれ、やがてかすかに
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