シャクリあげるが、クチビルをかみしめて身支度をととのえなおす。
「克子をいじめて、おたのしいのですか」
 信子のカン高い叫びが彼を突きさす。
 彼は無言である。
「克子を泣かせて、縁起でもない。これから徴用の職場へ出勤という克子を。女子の徴用は男子の出征と同じですよ。一匹のイワシを食べるぐらいが、何様を軽蔑することになるんですって! 私だってイワシよりも棺桶屋を軽蔑しますよ。たかが一匹のイワシをたべるにも高尚な理窟がいるんですか。私は理窟ぬきに棺桶屋を軽蔑したいもんですよ。たかが一匹で意地汚いとは、おお、イヤだこと。意地汚いのは、あなたですよ。一匹のイワシを娘に食べさせるのも惜しいんですね。この御飯は、克子のために、田舎の大伯母さまが届けて下さるお米ですよ。あなたは、それを食べているではありませんか」
 亮作は無言であった。克子は勝ち誇るために泣いているが、彼は泣くこともできない。
 彼も立上って出勤の支度をはじめる。彼はイワシを投げすてた克子のように、お弁当の御飯を投げすてることはできない。
 戦争に負けるか勝つかということも、この苦しみから遁れられるか遁れられないかということよりは
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