イライラと不快な思いをさせられるにしても、日曜の一日はその親切な訪れをまつ喜びで一ぱいになる。そして、夜十時、静かに裏戸に近づいてくる跫音《あしおと》に、最高潮に達する。
あるいは裏戸に跫音をきく瞬間までは、社長のケチンボー、安い月給を敬語でおぎのうことなどを罵る思いがくすぶっていたかも知れない。しかし、訪う人の声によって彼であることを確めると、もうダメだ。亮作は感動だけのカタマリであった。胸の鼓動は羽ばたいて彼を裏戸へ走らせ、老いの目に涙をうかべさせてしもうのである。
亮作はその自分をあさましいとは思わなかった。人の善意を信じることは大切だと思うのである。しかし、信子や克子を相手にして、彼はそう考えているのであって、彼自身が直接社長に対しては、一週間の六日間はそのケチンボーや敬語を軽蔑しているのであった。だから一匹のイワシに泣く男をあさましいと思うのは、亮作が誰よりも激しかったかも知れない。
女房や娘の汚くて意地悪い表現によって、一匹のイワシに泣く己れの姿をシテキされては、もうオシマイであった。彼は逆上しながら、口をつぐんで、うなだれてしもう。
しかし、やがて、カマクビをたて
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