投げこまれていた。
 穴の中に住む一部隊の乞食たちがだんだん聖賢に近づいているのは無理ではない。居と住に於て不安がなく、むしろ栄養にめぐまれているからである。
 ただ一人亮作のみは――否、名を変えた後の水鳥亭山月に於ても、彼が獲て、また必死に守りつづけているものは、一軒の家とささやかな畑のみであり、そして彼の衣食住は戦争中と全く変りのないものだった。彼は自分の畑の物を食べる以上にどんなゼイタクもできなかった。金がなかった。職もなかった。否。彼は温泉と畑づきの家主たることに誇をもちすぎてしまったのである。フシギなことであるが、その心境は、斜陽族という言葉が何より当てはまるのかも知れない。すでに彼には気位があった。落ちた物を拾うわけにもいかないし、職を得て働くことすらもイサギヨシとしないのだ。
 彼は穴の中の住人中で特に精彩を放っているオヤジの存在を知っていた。道路拡張、道路拡張と呟きながら静かに逍遥している姿を見たこともあるし、彼がもと中学校の教師であったことも聞き知っていた。
 彼はオヤジの存在を知ったとき、皮肉な満足を覚えたことも事実であった。自分は中等教員を半生の願いとしながら、中
前へ 次へ
全64ページ中61ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング