だらないものだと思つてゐた。理解する目も育つてゐなかつたのだが、又、旺盛な敵意があつて、碌々目も通さず葛巻に突き返してゐたのだ。死の家の暗さだの跫音のない婆さんが歩いてゐたなどゝいふのも彼の自殺に対する反感がさせた仕業の一つであるかも知れなかつた。けれども青い絨氈だけは、私は今でも、その暗さには苦しさだけしか思ひださない。葛巻の結婚記念に、あの絨氈燃してはどう? 手紙にさう書いたが、この手紙はだしそこなつてしまつた。だが多分、今度の戦火ですべてが燃えてしまつたと思ふ。
私が二つ目の小説「風博士」を書いたときに牧野信一が文藝春秋で激賞してくれた。三ツ目の「黒谷村」、を書いたとき、文藝春秋の新人号へ書かされることになり、〆切の期日までに五日しかなかつたが、之は多分急に話がきまつたのであらう。そのとき牧野信一から会ひたいといふ手紙が来て、大森の山王にあつた彼の家へ訪ねて行つたが、そのとき彼が君に会つてみて安心した、玄関を上つてくるといきなりポカリと俺をなぐるやうな奴が来るんぢやないかと女房と話をして脅えてゐたのだ、と言つた。
人々はそのころの僕の作品を牧野信一に似てゐると言ふけれども、之
前へ
次へ
全13ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング