概は絵葉書ですましてゐた。だから封書をもらつても原稿紙一枚以上の長さのものは殆んどなかつた。長い手紙は書けないと頻りに言つてゐたのである。
ところが死後になつてみると、婦人へ宛てた手紙では無駄な饒舌を綿々と書いた思ひもよらぬ長いものがあるらしい。といふやうなことを言つて面白がるのは意味ないことだと私は思つてゐるのである。故人の書簡を調べたり伝記をひつくりかへしたりする「作家研究」といふ形式が、それが一体大学生の暇つぶし以外の何になるのだと私は思ふ。
四五日前竹村書房の大江勲がやつてきた。大江は私の竹馬の友で、私のあらゆる出版はみんな自分が引受けると一人でのみこんでゐる男だから、私は遺言第一条の件を伝へた。生れつきづぼらの性で遺言状も書き忘れて死ぬ懼《おそ》れがあるから、手紙や日記(尤もそんなものはつけてゐない)の出版はやらないやうに呑みこんでゐてくれと言つたのである。気のいい男だから忽ち胸を張つて、俺の眼の黒いうちは金輪際保証すると大呑みこみに呑みこんだ。
「然し君」と大江は言ふ「君の小説は一向大衆に親しまれないかも知れないが、その無茶苦茶な喧嘩の手紙やキザな恋文は大いに受けるかも
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