であらうと行列が悪からうと全く気にしてゐなかつたのが、手紙のたびに一々気にするやうになり、さういふ気づかひの厭らしさを意識するたびに、その話をした友達を憎むこと頻りである。私の恋文はまたこの果し状と同じでんで、あるときはキザなこと話にならず、また或時は熱に浮かされて何がなんだかてんで分らず、また或時は深謀遠慮を逞うして恋の手管をつくして居り、思ひ出してもはづかしくて顔が赧《あか》らむ状態だから、メリメとはだいぶん違ふ。
私は遺言状の第一条に書かうと思つてゐるのである。「死後書簡の出版を絶対に禁ず」これは私の「はづかしさ」からだと思つてはいけない。手紙どころか小説の方が恥だらけだ。今更はにかんでゐるわけではないのである。
昔書いた小説はとにかく、近頃の私の小説は、私の好きな女達には一番読んでもらひたくない小説である。一婦人の心を射ること万人の心を射ることに通じ、万人に読まれたいといふ小説も一婦人に読まれたいために書かれたといふ小説に比べたなら、私は恥をさらすために小説を書いてゐるほど今は汚辱に没頭してゐる。その汚辱に毅然たるものゝ閃めきもなく、ひとたび芸術家の意識を忘れて、社会人とし
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