して最も偉大なる自由人であり、永遠の現代人であつた。
 真実の自由、自由人は常に反逆人たらざるを得ないものである。今日、キリストを、孔子を、現世へ再生せしめて、その幼少から生長の道を歩ませたなら、彼らは神ならず、聖人ならず、反逆者であり、罪人であり、世を拗ねた一人よがりの馬鹿者、気違ひであるであらう。
 自由人の宿命は、彼等ほど偉大ではあり得なくとも、多かれ少かれ、似た道を辿らざるを得ないものだ。なぜなら、自由は常に天国を目差しながら、地獄の門をくぐり、地獄をさまよふものだからである。
 文学が、さういふものの一つなのだ。自由人の哀れみじめの爪の跡、地獄の遍歴の血の爪の跡、悲しい反逆の足跡だ。
 お前の文学は何か? お前は誰? と聞かれたら、私は、いささか、はにかみながら、然し、少し威張つて、かう答へる。私はまアできそこなひの、その上本物よりも大いにエロな、子路《しろ》だ、と。つまり猪八戒《ちよはつかい》と子路の合ひの子なので、猪八戒の勢力範囲が旺勢だから、天竺《てんじく》へ辿りつかずに、あつちの女の子に目尻を下げ、こつちの女の子の手を握り、あべこべに縛りあげられて、助けてくれ、と泣い
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