てばかりゐる。目下、ゴビの沙漠を辿つてゐる最中なのである。
 ラ・マンチャの紳士ドン・キホーテ先生といひたいけれども、これもサンチョ・パンザとの合ひの子で、サンチョの勢力範囲の方が旺盛だから、一向に騎士的精神によつて勇み立ち槍をふりまはすといふやうな崇高なところがでてこない。
 私は然し、実際、私は猪八戒だといふところが正当な評価だらうと考へてゐるのだ。猪八戒はヘタくそな忍術を使ふ。デレンデレンと九字を切ると、本人は見事に化けてゐるつもりだけれども、身体だけ美人に化けて、顔は例の助平豚だといふ始末である。このできそこなひの忍術が、つまり私の小説だ。私もまた、できそこなひの忍術使ひなのである。
 いつたい、猪八戒自体は天竺へ行くつもりであつたのか。桃太郎の犬だの猿は、ともかく鬼退治にお伴しようといふ意志をもつてゐたやうだ。ところが、猪八戒の方は怪しいもので、彼の旅行目的たるや至極曖昧模糊としてをり、彼の人生の目的たるや私には分らない。同じ疑問を私に差し向けられると私は切ない。なぜといつて、沙漠だの荒野だの深山の旅ですら、猪八戒はあんなに多くの女怪にぶつかつてゐるではないか。私は東京といふ
前へ 次へ
全9ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング