るのだから。曰く、小説。作家にとつて小説は全てであり、全てを語りつくしてをり、それに補足して弁明すべき何物も有る筈はない。有り得ない。文学は全てのものだ。
私はてんで弁明など書く気持を持たないのである。すると編輯者は、弁明など書いてくれなくともよい、私の小説、といふことで一席やれといふ。
私の小説、それはムリだな。私の小説は、小説が全部なのだから、私の小説は、私の小説だけでたくさん。私はたしかに情痴作家だ。なぜなら情痴を書いてゐるから。情痴のために情痴を書いてゐないなどと、私は今、ここで何をいふ必要もないのだ。全ては私の小説自体が物語つてゐる。小説は偽ることのできないものだ。
私はさういふ一部の読者に忠言をこころみたい。有害無益な小説は読むなかれ、といふことである。有害無益を知りつつ読むなら読者の教養、人格はゼロだ。
小説といふものは、全く異質の二つがある。一つは読み物で、一つは文学である。この二つがどういふふうに違つてゐるかは読者自らが学問すべきことであつて、文学とは何か、文学を理解するには、いくらか教養が必要だと知らなければならない。
然し教養といふものは、決して書物を読
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