くないからと断つても、暫くたつと、忘れたふりをしてやつてきて、悠々たるもの、さすがに堂々たる武者ぶり、新大阪は人材がゐますよ。
 私は生れつきツキアヒの良い性分なので、先方が情痴作家ときめこんで来てくれてゐるのに、いやさうぢやない、私はプラトンの流れをくむアテナイの市民です、などといふアコギな扱ひはできないたちなのだ。
 正直なところ、私は人の評判を全然気にかけてゐない。情痴作家、エロ作家、なんとでも言ふがいいのである。読む方の勝手だ。かう読め、ああ読めと、一々指図のできるものではないのだ。
 文学といふものはさういふもので、読む人によつて、どういふ解釈もできる。私の小説が情痴小説だと思ふのは先方の勝手だけれど、然し、これだけは知らねばならぬ。つまり一つの小説に無数の解釈が成立つのだから、一つの解釈だけが真実ではないといふことだ。私が情痴作家だといふ。ところが、案外、さう読んだ読者の方が情痴読者かも知れぬ。読者は私を情痴作者だといふし、私は読者を情痴読者だといふ。別に法廷へ持ちだすまでのことはない。裁判官はちやんとゐる。歴史だ。我々はつまらぬことをいふ必要はない。証拠書類は全部出してあ
前へ 次へ
全9ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング