かが巷談師に向って、人民の怨嗟は大きすぎると思うが、こう言われてみると、私の筆力にヒットラーの妖怪味がはらまれているようにも幻想し、まんざらでもない気持にさせられたのである。
「野坂中尉と中西伍長」は三月号にのったのだから、二月半ばの発売で、当然そのころ以上の文書が殺到すべき筈であるが、実は、この過半数が五月末日―六月に至ってまとめて殺到したのであった。このイワレは当分わからなかった。
 ところが、たまたま一通のハガキによって、この謎をとくことができた。このハガキは文藝春秋新社気付でいったん東京へ送られ、転送されて、おそくついたから、謎の発見がおくれたのである。
 貴殿の「野坂中尉と中西伍長」に感激したから、他の論文の出版社を至急教えてくれ、というハガキであった。ユイショある流儀を感じさせる達筆だ。我々から見て、文字に二つの区別がある。文学を愛好する者の筆蹟と、そうでないものの二つである。弟子入りや共産党の手紙は中途半端で分類以前の筆蹟であるが、つまり彼らは筆蹟的にも未成品であることを示している。
 このときのハガキは、そうでない筆蹟の中でも特にそうでない達筆で、年齢は四十以上であるこ
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