ているらしい。長文の手紙の作者は必殺の文字に自信があるから、悠々敬称をつけてくれる。
長文の手紙に何が書いてあるかというと、私の作品(主として堕落論)の批評が主であるが、中には私の作品の半数ぐらい読んでいて、一々槍玉にあげているのもある。そして、前者(堕落論その他ごく一部分の作品をとりあげて縦横に論破したもの)はいくぶん冷静で、あくまで論理によって巷談師の息の根をとめようとする気品をうかごうことができるが、後者(半数以上の作品を槍玉にあげているもの)は一時あやまって私の作品を愛読したことがあり、はからざる裏切り行為に逆上、可愛さあまって憎さが百倍という噴火山的な気魄と焦躁が横溢しているが、末尾に至って突然怪しく冷静となり、貴様(又はお前)はやがて人民裁判によって裁かれるであろう、その日は近づいている、などとひややかな予言によって手紙をむすんでいるのが普通である。
しかし、人民の怨嗟はお前にかかっている、と断じているのが二通あったのはうなずけない。あやまって吉田首相に与える言葉で間にあわせたものと思うが、あるいは、共産党では、最大級の悪漢に浴せる公式用語がこれだけなのかも知れない。た
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