は競輪は知らないのである。しかし英国滞在中見物のダービー以来、競馬には病みつきで、私を競馬に誘っているのだ。自分は一文も持たないから、お前五万円もってこい。それを三日間で五百万円にしてやるから、その分け前をもらいたい、というわけだ。
 荒筋はこれだけだが、彼が昔の栄華を語り、今の貧窮や家族について語っている言葉には、まさしく妖気がこもっていた。私は彼にはるか東北の競馬にさそわれ、どこかの山中で毒殺されるような幻想を起したほどである。
 共産党とちがって、彼はつとめて、私を怖がらせまい、安心させよう、と努力しているのである。近影と共に全盛時代の写真を同封したのも、そのためかも知れない。
 そして手紙の所々に於て、自分が狂人ではないこと、自分の精神は分裂していないから安心してくれということを力説しているのである。
 甚しい窮乏に踏みにじられている衰弱をさしひけば、彼の力説する通り、彼は狂人ではないらしい。
 しかし私は五万円フトコロに、もしも誰かと競馬へ行かねばならぬとすれば、彼と同行するよりは、ホンモノの狂人と同行することを選ぶだろう。
 彼は手紙の末尾に、万々そういうことはなかろうが、
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