きてよ。待ってるのよ」
「あなたは誰ですか」
「××館よ。お客さんにたのまれたからさ。あの人よんでおいで、コーダンの坂口さんだからッてさ」
「お客さんて、誰?」
「知らないわ。来てみれば、分るでしょう」
「女?」
「ウフ」
 と、女は笑った。恐しくなめられたものである。
「××館、あそこよ。知ってるでしょう」
 女は自転車にのって走りだした。女が美人だとノコノコついて行く性分だそうだが、不美人になめられては、ながく魂をぬかれているわけにもいかない。ウッカリすると自動車にひかれるから、彼はふりむいて歩きだす。
 女が怒ってフルスピードで戻ってきた。
「なによ、あんた! きこえなかったの。私の言ったことが」
 目から火焔がふいている。
「待ってるわよ。そう言ったじゃないの!」
「女?」
「まだ言ってるわね」
 女は呆れて苦笑したが、わが意を得たりという親愛の情も同時にこもって、
「そんな人、いるの? ウフ。夢見ちゃダメよ。お気の毒さまだ。私がなってあげようか。アッハッハ。ウソだよ。本気にしてダメだよ」
 と、いくらかてれた。
 彼女が笑ったので、口が蟇口《がまぐち》のように大きいのが分った
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