こう書いてある。まだ生きていたと見てとって、トドメを刺してやろうという見幕らしい。
「それでも日本人か!」
言い合したように、こう怒る。なぜ怒られるのか、のみこめない。
「民衆の心はキサマから離れている」
嘘ではないのである。たしかに彼らのある者はこういう風に、もしくは、こういう意味のことを私に向って叩きつけているのである。
共産党以外の人には分る筈だが、この文句は、時の首相とか、政党の指導者などに用いるもので、巷談屋には用いない。用いて悪い規則もないが、巷談屋とヒットラーには、用いる言葉がおのずからそれぞれに相応したものでなければならない。
こう断定した共産党は静岡県の富士郡というところの何々村の住人だ。行って見たわけではないが、富士山の麓のヘキ村だろう。そんなところに住んでいても、民衆の心が巷談屋から離れているのをチャンと見ているのである。
「キサマの末路はわかってる」
そうか。さては末路も見破られたか。どうしても末路を見破り、人民裁判にかける意向が明かなのである。彼らは骨の髄から懲罰精神でかたまっているらしい。つきあいにくい人種である。
西洋の童話には森の妖婆がでてく
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