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 言葉というものは、それが使用されているうちは、そこにイノチがあるものだ。
 十年ぐらい前から、ラジオや新聞の天気予報に、明日は晴レガチのお天気です、とやるようになったが、大体古来の慣用から云えば、何々シガチというのは、悪い方向に傾いて行くときを云うのであって、病気シガチだとか、貧乏シガチだとかと云う。決して丈夫になりガチだの、金を儲けガチだのとは言わないものだ。天気の場合はクモリガチとは云ったものだが、晴れガチなんて慣用はなかった筈だ。
 けれどもこうしてラジオや新聞に報じられているうちには、それが現行のものとなり、実在してしまうから仕方がない。言葉の場合などは慣用が絶対だという法則はないのであるから、いずれは文法に、ガチの慣用のうちで晴レガチだけが不規則、というようなことになって、言葉の方に文法を動かして行く力がある。言葉とは元々そういうもので、文法があって言葉ができたワケではなく、言葉があって、文法ができたのである。
 それは文法にあわない、とか何とか学者先生が叫んでみたって、文法の空文とちがって言葉にこもるイノチというものは死んだ法則の制しうべからざるものなの
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