は「お前よび」というのがある。フランスには「アナタ」の外に「オマエ」という言葉が存在し、恋人、夫婦、親友、などは「お前よび」という特権を享楽することができる。他人をよぶにはアナタと云って、テイネイに分け距てゝおくのである。
 オマエなどゝいう言葉が存在するのは怪しからん、という。人をよぶには常にアナタでなければならぬ。そんなことを力説してみたって、人を差別する気持があって、相手を自分より卑しいもの、低いものに見る観念がある以上、言葉の上でだけアナタとよんだって、なんのマジナイになるというのか。
 人を見るに差別の観念がなければ、人をよぶ言葉はおのずから一つになるにきまっているし、かりに英語の如く人をよぶに、ユー、の一語しかなくとも、差別の観念のある限り、ユーの一語も発音のニュアンスに色々と思いが現れる筈で、やっぱり根本の問題は言葉の方にあるのではない。
 女房をお前とよぶのは男尊女卑の悪習だというが、例がフランスの「お前よび」にある通り必ずしも男尊ではなく親密の表現でもあり、他人行儀と云って他人のうちはテイネイなものだが、友達も親密になると言葉がゾンザイになること、日本も「お前よび」と
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