同断であり、女房をお前とよぶのも、むしろ親しさの表現の要素が多いであろう。
たゞ、日本の場合、女の方が亭主をアナタとよぶのが女卑の証拠だというのも、一概にそうも云えない。男言葉と女言葉の確然たる日本で、男女二つの呼び方が違ってくるのは当然で、アナタとよぶことが嬉しいという日本の女性心理には、日本の言語の慣例を利用して、愛情を自然に素直に表出しているにすぎないと見る方が正当ではないかと思う。
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言葉という表面に現れているものだけを突き廻して、それだけを改めたってムダなことだ。その奥にあり、敬語という形となって現れた日本的生活の歪みというものを突きとめて、それを論じることが必要である。
お客をもてなすに、ツマラナイモノデスガ、とか、お口にあいませんでしょうが、とかと、妙に卑屈なことを言う。敬語という妖怪をあやつる張本人というのは、そんな風な日本的生活に在るのだろうと私は思う。今日はウチの連中が腕にヨリをかけた料理で、とか、これは自慢の家庭料理で、とか、その食べ物の性格について己れの信ずるところをハッキリ云えばそれでよい。不出来だと思ったら不出来、相手の味覚が
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