惑と、絶望と、毒を読みとるにすぎないでせう。
 けれども、あれを書きながら、私が一途に念じつづけてゐたことは、美しい、ゆたかな、幸福な物語といふ、ただ、この一事のみなのでした。
 要するに、私の苦悩は未熟です。人生に於ても、未熟です。さうして、直接人性にふれて書かうとすると、私の切願にも拘らず、美しい物語は、ただ汚らしくなるのです。どんなに美しい物語を書かうとしても、直接人性にふれる物語を書く限り、私は汚らしい、不幸な、救ひのない、陰惨な物語しか書くことができません。
 このやうにして、私は、自分の意図とうらはらな自作の暗さに絶望し、やりきれなくなるたびに、筆をやめ、さうして、直接人性と聯絡しない架空の物語を書きはじめます。それは、気楽で、私をたしかにホッとさせます。書いてゐて、充実したものはなくとも、たしかに、気楽で、たのしかつた。――その気楽さに倦み、その充実の不足に反撥が戻つてくるとき、私は又、直接人性にふれた物語を書かうとし、結果に於て、自作の毒にあてられて、又しても、やりきれなくなるのです。
 この二つを、今まで幾たびも繰返しました。恐らく未来も、さうでせう。この二つがひとつ
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