書きたいといふ、私の念願はただそれのみでありました。
私は常に「美しい物語」が書きたかつた。私は常に「美しい物語」のことを考へてゐた。――美しい物語とは、決して、美男美女の恋物語といふことではありません。
私達の生きる道には、逃れがたい苦悩があります。正しく、誠実に生きる人に、より大いなる苦悩があります。さうして、ひとつの苦悩には、ひとつづつのふるさとがあります。苦悩の大につれて、ふるさとも亦、遠く深くなるでせう。そのふるさとが、私の意図する物語のただひとつの鍵であります。
けれども、私の苦悩はまだすくなく、それゆゑ、私のふるさとは、至つて浅いといふことを申上げずにはゐられません。
ちやうど四年前ですが、私は、やつぱり、美しい物語を書かうとして「吹雪物語」を書きました。私はただ、人の心をゆたかにし、人の心を高めるところの、たのしい、幸福な物語を書き残さうと、一途に考へて、書いたのです。
思ひもよらぬ結果でした。美しいのは、題だけでした。書き終つた物語は、ただ陰惨で、まつくらで、救ひがなく、作者は呆然とし、絶望しました。「吹雪物語」を読む人は、ただ、悔恨と、咒詛《じゆそ》と、疑
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